長崎県
くらわんか碗
光春窯
江戸時代の雑器を、現代の食卓にリファイン
世の中に新しい茶碗を提案したい、との思いで開発に励むなか、たどり着いたのは、昔のものでした。
江戸時代、琵琶湖から大阪湾へ注ぐ淀川では、人や物資を運ぶ旅客船や貨物船が往来していました。それらの船客に、「飯くらわんか、酒くらわんか」と叫びながら近づき、酒や食事を売っていた小舟がくらわんか舟で、そこで使われていた茶碗は、「くらわんか碗」と呼ばれました。
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長崎県
光春窯
長崎県
光春窯
江戸時代の雑器を、現代の食卓にリファイン
世の中に新しい茶碗を提案したい、との思いで開発に励むなか、たどり着いたのは、昔のものでした。
江戸時代、琵琶湖から大阪湾へ注ぐ淀川では、人や物資を運ぶ旅客船や貨物船が往来していました。それらの船客に、「飯くらわんか、酒くらわんか」と叫びながら近づき、酒や食事を売っていた小舟がくらわんか舟で、そこで使われていた茶碗は、「くらわんか碗」と呼ばれました。
くらわんか碗をつくっていた産地の一つが、長崎の波佐見焼です。
そこで、【あたら‐もの くらわんか碗】は、波佐見焼の窯元と協働で、昔のくらわんか碗をモチーフに、現代の暮らしに合うよう、リデザインを行いました。
色味については、【あたら‐もの 楕円皿】と同様、くらわんか碗とほぼ同時期につくられていた酒や醤油を輸出するための瓶「コンプラ瓶」を参考にしました。
舟の上で使われたくらわんか碗は、倒れにくく、頑丈であることが求められたため、高台が幅広く、重心が低いのが特徴でした。
現代では、その良さを残しつつ、より洗練されたフォルムを目指しました。
塗りの工程では、ろくろ台を回転させながら筆を当てます。次から次へと塗り上がっていきますが、色や濃淡、筆のあとは、一つ一つ微妙に異なります。
それこそが味なのです。
波佐見焼の始まりは、17世紀の初頭のこと。
隣接する佐賀の有田焼で磁器が焼かれ始めた時期とほぼ同じといわれています。
その後、17世紀の中頃には、世界へ輸出されるようになり、17世紀の末頃からは、くらわんか碗などの日用の食器がつくられるようになりました。
現在も型屋、生地屋、窯元、商社といった分業制のもと、日々の食卓に並ぶあらゆる種類の食器を大量生産しています。
波佐見町のなかで、多くの窯元が根を下ろす中尾山。そのうちの一つが、「光春窯」です。
創業は1984年と比較的新しいのですが、「日々の食事、日々の食卓を楽しむ器」をテーマに、伝統を受け継ぎながらも、普段使いしやすいシンプルなうつわを今日もつくり続けています。
余談ですが、波佐見焼が舞台の漫画『青の花 器の森』は、光春窯を取材して、描かれているそうです。